Footprints

弁護士・伊藤雅浩による仕事・趣味・その他雑多なことを綴るブログ(2005年3月開設)

真ん中の少年

文春将棋に,川島滉生さんのインタビュー記事がアップされました。これがとても素晴らしい内容です。

 

bunshun.jp

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著者の宮田聖子さんは,最近になって,学生将棋,アマチュア将棋にスポットを当てた記事をたくさん書いており,この分野で書いたら右に出る人はいないでしょう。それにしても,川島くんの記憶力,表現力はすごい(語彙力)し,感情の自己分析力もすばらしい(語彙力)。これを引き出せたのも宮田さんの力だと思います。

この記事には私が提供した資料が何枚か掲載されています。事前にツイッターのDMで連絡をいただいていて,川島くんに関するインタビューを行うと聞いていたので,とても楽しみにしていました。写真を探す過程で,いろんなことを思い出しましたが,このインタビューにあるとおり,小2から小4のころは,本当に毎週末に道場,大会でふたりは対局をしていました。

小2の倉敷王将戦には一緒に行ったので,そのときの写真を探していたら藤井三冠(もしかしたら本日中に四冠になるかもしれませんが)が映っているのも発見しました。小3のときに,揃って代表選で負けて倉敷に行けなかったときは,本大会の日に他にも予選落ちした子どもたちを集めて自宅で合宿をやったことも思い出しました。

ちょうどそのころ,大学時代の研究室の先生の還暦祝いで,研究室の先輩であるAI・ゲームの研究者である電通大の伊藤毅志先生に会い,子どもが将棋をやっているという話をしたところ,伊藤先生の社団戦のチームに長男と川島くんを入れてもらいました。このころの棋力としては3部で戦うのは厳しかったかもしれませんが,そこで揉まれたことはいい経験だったと思います。このときもチームの勝利よりも個人の成績を競っていたかもしれません。

このころ,大会などでパパママと知り合うようになって,大人たちも楽しもうと,将棋連盟支部(鰻支部)と,社団戦のチームを結成したり,練習会(という名の飲み会)をやることも増えてきました。考えてみれば,長男と同じ大会に出た(3部と5部でしたが)のは,このときの1シーズンだけだったかもしれません。

記事中で6年ぶりの再会のシーンがありましたが,あのときも,緊急事態宣言が出る直前(2020年3月)の鰻支部の練習会の場でした。あまりにも久しぶりすぎて,将棋を指しているとき以外はぎこちない感じの2人でした。

以前から早大将棋部で活躍していることは知っていましたが,川島くんの今後の将棋人生を応援したいと思います(もちろん学業その他でも)。