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弁護士・伊藤雅浩による仕事・趣味・その他雑多なことを綴るブログ(2005年3月開設)

講義・演習の予習

本学のカリキュラムでは,2年の前期がもっとも授業準備等にかかずらう時間が長かった。今回は,講義,演習課目の予習について考えてみた。


予習にどの程度工数を割くかというのは,結局は先生がどのような形態で授業を進めるのか,といったことに依存することになる。


例えば,法科大学院での教育向けに出版されたケースブックの一定の範囲を事前に指定され,講義はその設問に沿って展開されるとする。さらに,そのケースブックには,「参考文献」が指定されていたりする場合には,際限なく予習時間が長くなりうる。このようなケースでは,90分の一コマ分の予習のために,図書館や資料室で文献を探し,グループを作って準備をしたりして,トータルで10時間かける学生だって珍しくない。


もちろん,90分のために10時間の準備をすることが無駄になるというわけではないが,往々にしてこのような場合にありがちなのは,

  1. やたらと資料をコピーし,資源と資金と時間を浪費する。
  2. 膨大な資料の中から,設問の答えに該当しそうな箇所を見つけてマーキングしたり,ノートに転記したりする。
  3. 授業中に指名されると,その箇所を棒読みする。


・・である。一見すると,スムーズに講義が進行する。そこで,先生の反応は,次のようなものが考えられる。

  1. 「よくわかってるな」と感じて素通りする。
  2. 「ホントはわかってないんじゃないか?」と気づいて,別の角度から質問をしたりするが,学生は答えに行き詰る。


そして,周りの学生の反応としては,

  1. とりあえず,指名されなくてホッとする。
  2. 指名された学生の回答内容と,自分が転記したノートを見比べて,同じであることに安心する。
  3. 予習が不十分であったり,ノートの内容と回答とが異なる場合には,やたらと流暢な回答についていけず,結局よくわからなかったりする。


ということになる。


やや誇張した言い方をすれば,膨大な労力をかけて講義に臨んでも,それに見合った効果が出ないし,逆に準備を不十分なまま講義に臨むと,ついていけずにこれまた効果が薄くなる。


時間をかけることは無駄にはならないとは思うが,「指名されたときに恥をかきたくない」といった程度の低レベルな動機のみに支配されると,貴重な時間を浪費することになり,ロクなことにならない。90分の講義の時間で,できるだけ多くの情報・考え方を吸収できるための準備を行うことが一番重要だろう。


・・というわけで,どれぐらい手を抜くのか,手をかけるのかは難しいところだ。私は途中から,講義の予習はそこそこにとどめ,主なインプットの場を準備段階から講義時間および講義終了後へとシフトするように変えた(もちろん,手を抜くことで浮かせた時間は別の勉強へと割り当てる)。とはいえ,指名されて「ワカリマセン」では講義の流れを寸断しても全体への影響が出るから,最低限の準備は必要だろうが。案外,十分な準備をしていない時こそ,現場思考が求められ,思考・表現のいいトレーニングになったりすることもある。