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弁護士・伊藤雅浩による仕事・趣味・その他雑多なことを綴るブログ(2005年3月開設)

G教授の最終講義

母校法科大学院の初代法科大学院長で,刑事訴訟法学者であるG教授の最終講義に出席した。


表題は「法科大学院刑事訴訟法学」。


最終講義は法律学の研究成果,足跡を振り返るという形式ではなく,法科大学院制度の発足とその後の運営についての思い,さらには刑事訴訟法学と実務への関係について語られた。


G教授は,母校のみならず,法科大学院制度全体の推進役としての役割も果たされ,その発言からは,ときに実務法曹からの厳しい批判にさらされることもあった。しかし,少なくとも私は,2つの面から,素晴らしい教育者であったと思っている。


1つは,法科大学院における刑事訴訟法の教育方法が優れていたこと。


法科大学院ではソクラテスメソッドで教えるものだ,というメソドロジが喧伝されていたが,ふたを開けてみると,効果的に実践できる教員がおらず,むしろ学生たちに無駄な緊張を強いたり,教育効率が悪かったりという批判があった。その中で,G教授の刑事訴訟法の講義は「神」の領域に達しようとする勢いだった。教場全体がほどよい緊張感に包まれ,初学者を対象にしながら,初歩から高度な論点までも学生との対話を通じて理解させていく。私は,基本書を何度も読み返す,という他の科目のスタイルとは異なり,刑事訴訟法に関しては,ほとんどG教授の講義ノートのみで司法試験を受験することができた。


もう1つは,法科大学院制度の立ち上げに心から力を注がれていたこと。


入学時のガイダンス段階から,「司法試験の合格が最終目標ではない。実務をリードする優れた法曹を養成する。」というビジョンを掲げ,学生全員の名前をいち早く覚え,自己の担当科目以外についても個々の学生の状況に気を配った。入学者に対し「高い志,緊張感,連帯感」を共有することを持ち掛け,学生アンケートや院長とのランチタイムを設けるなどして,積極的に学生との交流を持った。少なくとも私が在籍していたころは,すべての学生が当然に1回で司法試験に合格するという気持ちで勉強し,授業には緊張感があり,全員で合格しようという機運が生じた。これまで累積合格率(単年度の入学者に対する司法試験合格者の割合)が各学年で80%を越えているのも,こうした雰囲気づくりなくしては実現しえなかったことと思う。


最終講義では「プロセスによる法曹養成」の意義も説かれた。確かに,法科大学院で2年,3年かけてリーガルリサーチ能力,リーガルマインド,深く考える力が培われるとしても,それは実務経験の過程で活かされるもの。4日間の司法試験では必ずしも測定できるものではなく,社会を変える法曹を養成するためには,2年,3年かけた教育が必要であるという。


最後にSimple Justiceという映画の一節が紹介された。その中で,Law Schoolの院長が学生に対して,法律家には2種類いると説くシーンが上映される。それはsocial parasiteと,social engineerだと。G教授は後者を養成することに心血を注がれた。そのためには上記の「プロセスによる法曹養成」が必要だという持論だ。


今のところ,法科大学院制度の将来は明るくない。各校にG教授のようなリーダーシップと熱意を持った教育者がいれば違ったのかもしれない。退官後,G教授は某私立大にて教鞭をとるという。設立準備第階から含めると15年ほどになるが,お疲れさまでしたということを申し上げるとともに,また新たなGイズムを巻き起こされることを期待したい。