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弁護士・伊藤雅浩による仕事・趣味・その他雑多なことを綴るブログ(2005年3月開設)

東証・システム障害による責任についてのメモ

昨日10月1日,東京証券取引所のシステムで障害が発生し,終日にわたって全銘柄の売買が停止するという前代未聞の事故が発生した。

東証でのトラブルから訴訟に発展した件といえば
www.nikkei.com

その後の会見などによれば,上記の記事にもあるように,システムを構成する「共有ディスク装置」の一つが故障し,バックアップへの切り替えもうまくいかなかったという。途中で再起動すると,証券会社側にも影響が大きいようで,終日の売買停止となったようだ。

今後,金融庁からも報告徴求命令が出されたりして,詳細な障害の原因調査は進むと思うが,証券取引所のシステムで生じた障害と,その後の訴訟といえば,必ず思い出されるのがジェイコム株誤発注事件だ。

itlaw.hatenablog.com

この件は,証券会社側のオペレーションミスと,証券取引所のシステムのバグと,オペレーションの遅れという複合的な原因が重なって悲惨な結果を生んだという事件で,証券会社から東証に対して損害賠償を請求したものである。あくまで今回の事件とは事案の性質が異なるとはいえ,この裁判例にて示されたことが,今回の件にも影響してくるかもしれないので,少しメモをしておく。

(今回の件についての結果を予測したりするものではなく,今後生じうる議論の出発点として,先例を紹介するものです)

損害の発生や範囲は?

日経新聞の報道によれば,東証では,通常,毎日約3兆円の取引があるから,終日取引が止まってしまったことにより,それだけの取引が失われたという。証券会社からみれば,取引が行われることによって手数料売上をあげるべきところ,市場が終日止まったことによって,1日分の売上がすべて失われたとして東証に賠償請求したくなるのではないか。

しかし,そんなに単純な話ではない。本日(10月2日),取引が再開したことで,本来は昨日,取引しようと考えられていたものが本日取引されていたのならば,機会損失はなかったことになるのかもしれない。例えば,ECサイトが1日止まった場合,もう買い物をあきらめるユーザもいるだろうが,翌日,サイトが再開して買い物をするユーザもいるだろうから,平均的な1日の売上機会がすべて失われたとはいえないかもしれない。

そのほかにも,再開後に株価が下がったことや,売りのタイミングを失したことによって損失が拡大したなどといったもの*1についてはなかなか「損害」との因果関係を証明するのは難しそうだ。

この点において,前述のジェイコム株誤発注事件のように,特定の証券会社が,取消注文を入れられなかったことにより莫大な損害が生じたことが明らかなケースとは異なる。

免責規定

ジェイコム株誤発注事件では,取引参加者規程中の免責規定の適否が争われた。問題となった条文は,

(市場施設利用に関する責任の所在)
第15条
当取引所は、取引参加者が業務上当取引所の市場の施設の利用に関して損害を受けることがあっても、当取引所に故意又は重過失が認められる場合を除き、これを賠償する責めに任じない。

というものだった。このうち「市場の施設の利用に関して」という部分について,システムの障害がこれに含まれるかが争われた。裁判所はこの点について,

控訴人は,控訴人の損害が,物理的な施設の瑕疵から生じたものではない旨,あるいは,本件免責規定が,文言上取引参加者が「施設」を利用可能な状態であることを前提としており,売買システムにおける取消処理が機能しない場合には,「施設」の「利用」そのものができないため,控訴人の損害は,「市場の施設の利用」に関する損害に該当しないから本件免責規定は適用されない旨主張する(当事者の主張34頁)。しかし,被控訴人の市場では,電子計算機等を利用して有価証券を売買することが前提となっていたのであるから(被控訴人業務規程6条1項前段,原判決5頁ウ(イ)),本件売買システムは,本件免責規定にいう「市場の施設」に該当するものと解される。また,取消処理が機能しない場合であっても,控訴人の損害は,同システムの利用中に発生したものであるから,市場の施設(本件売買システム)の利用に関する損害であると解すべきである。

と認めた。この事件が起きた後も,この免責規定は変わっていないようなので,今回のような機器の故障等によるシステムの停止の場合も,やはりこの免責規定は適用されることになるだろう。

重過失

この免責規定を以ってしても,「故意又は重過失」が認められる場合には,免責されない。今回の機器の故障や,バックアップが機能しなかったこと,あるいは早期に再稼働させなかったことのいずれかについて,東証に「重過失」があったといえるかどうか。

ジェイコム株誤発注事件では,「重過失」について,次のように述べられている。

今日において過失は主観的要件である故意とは異なり,主観的な心理状態ではなく,客観的な注意義務違反と捉えることが裁判実務上一般的になっている。そして,注意義務違反は,結果の予見可能性及び回避可能性が前提になるところ,著しい注意義務違反(重過失)というためには,結果の予見が可能であり,かつ,容易であること,結果の回避が可能であり,かつ,容易であることが要件となるものと解される。このように重過失を著しい注意義務違反と解する立場は,結果の予見が可能であり,かつ,容易であることを要件とする限りにおいて,判例における重過失の理解とも整合するものと考えられる。そうすると,重過失については,以上のような要件を前提にした著しい注意義務違反と解するのが相当である。

この「結果予見可能かつ容易,結果回避可能かつ容易」という言い回しは他の裁判例でも使われているところであり,定着した解釈だといえるだろう。

このような「重過失」の解釈は極めて限定的であって,通常の「うっかり」程度のミスでは早々に認められるものではない。今回の件では,まだ東証の重過失があったかどうかを判断する段階にはないが,富士通への損害賠償請求は現在考えていないといった会見での発言が出たりするなど,誰が見ても重過失だといえるほどのものでもなさそうだ。

*1:システムの障害によって売買のタイミングを失したことを理由に賠償請求するという裁判例はFX取引に関連するものに多い。東京地判平25.10.16など https://itlaw.hatenablog.com/entry/20131130/1385743702