Footprints

弁護士・伊藤雅浩による仕事・趣味・その他雑多なことを綴るブログ(2005年3月開設)

キッズフェスタと切れ負け将棋

丸の内キッズフェスタというイベントの一環で開催されたKIDS将棋大会(ボーイズ・名人戦・小学生対象)に参加してきた。


事前の案内はがきによれば,予選,決勝トーナメントともに10分切れ負けで行うということだった。JT杯と同じ方式。短時間で大勢の参加者の中からチャンピオンを決めるには,たくさん対局しなければならず,いわば仕方ないとはいえ,評判は悪い。


名人戦の参加者は40名くらい。この中から,2勝通過,2敗失格の予選を行って,午後からトーナメント方式の決勝トーナメントを行う。


長男は,○○で,幸先良くトーナメント出場を決める。このときまだ11時前。トーナメントは13時からだから,だいぶ時間が開く。2勝通過,2敗失格方式だと,最大でも3局しか指さないわけで,10分切れ負けの場合,20分を超える対局は発生しないのだから,どうやっても時間が余るはず。


さて,今回,長男は,決勝トーナメント一回戦で初の「切れ負け」を経験する。今回は,その対局の一部始終を目の前で見ていた。自分の子どもが負けたから言うわけではないが,「10分切れ負け」は,ある程度将棋が指せる者同士の対局(特に有段者同士の対局)には向かないと思った。


相手は,小学生名人戦東京都代表など,多くの実績を持つ6年生のS君。この時点でほぼ負けを覚悟したが,将棋はやってみないとわからない。


S君は10分切れ負けの怖さを知っており,初手から早押しクイズのようにバシバシ駒を進めてチェスクロックを叩きまくる。対する長男は,早指しすることは意識しているようだが,運動能力的に早い動きができず,落ち着いたペースで指す。チェスクロックのボタンが押される音だけを聞いていると,スイングか付点8分音符+16分音符のようにタッタタッタというように聞こえる。要するにイーブンペースではない。


戦型は,相矢倉。後手の長男が6四角と出て,相手の攻めをけん制しつつ,右銀を4四に進め,うまく指しているのではないか,と感じた。このあたりでS君の手が止まる。中盤の小競り合いからうまくやられ,長男の銀損が確定してしまう。しかし,タダでは死なぬ,とばかり,粘って,相手に手をかけさせ,銀損の代償として,「と金」を二枚作って飛車をいじめる。まだそんなに悪くないと思った。


ここからが長い将棋になる。途中途中で,互いに30秒くらいの長考(?)が入る。S君は何度も時計を覗き込む(アナログなので,時計をのぞきこまないと,よくわからない)。私のところからもよく時計が見える。わずかだが,S君の残り時間のほうが長い。残り時間が互いに5,4,3分・・と減ってくると,私まで緊張してくる。


S君はさすが,試合巧者だ。取る一手,のようなところでは,一秒も時間を使わない。そして,S君が寄せの態勢に入ったが,あと一枚足りない。わかりやすい詰めろをかけたところで,今度は長男が寄せに行く。矢倉の定位置,8八にいた玉を引きずり出すが,上部脱出を許してしまって入玉模様となる。しかし,その過程で,長男玉の動きを制限していた馬を王手で抜くことができ,まだもうひと勝負・・という印象を受けた。そのとき,S君が,


「あ,落ちた」


といった。


長男の時計の赤い針が落ちている。切れ負けである。両者茫然。互いに何もしゃべらない。長男は,自分のほうが残り時間が少ないことがわかっていて,いつか負けるだろう,というのを覚悟していたという。


おそらくあのまま続けていたとしても,また,ゆっくり考える時間があったとしても,S君の玉はつかまらず,長男は負けていたと思うが,「こんなんで勝負が決まっていいの?」って感じる対局だった。


10分切れ負けルールでも,多くの将棋が切れ負けによって終わるわけではない。ただ,見ていると,切れ負けするまい,と序盤から互いに猛然とチェスクロックを叩きまくるのをみていると,これは将棋ではなく,別の勝負だよなあと思う。


もちろん,プロの対局でも持ち時間はあるから,制限時間を設けることは問題ないし,アナログ時計(秒読み機能がない)を使うという事情から,切れ負け勝負も仕方ないが,やっぱり有段者クラスの対局で10分はあまりに短いな,と感じる。


出場する前から,「10分切れ負けはやだな」と話していた長男。対局後,「もう,JTに出るのはやめたら?10分切れ負けは嫌なんでしょ?」と聞くと,「それでも出る」という。案外,この仕組みに問題があるなと感じているのは外野だけで,本人は楽しんでいるのかもしれない。


追記:


あとで聞いたら,長男予選の2局目は千日手となり,指しなおしとなったようである。通常どおり,千日手成立すれば,その時点での残り時間で対局開始となる。序盤での千日手だったというが,その後の「ボタン叩き合い」が一層激しかっただろうことは想像に難くない。