Footprints

弁護士・伊藤雅浩による仕事・趣味・その他雑多なことを綴るブログ(2005年3月開設)

東急将棋まつり小学生大会

お休みを取って,東急将棋まつりの小学生大会に同行した。


周知のとおり,夏休みには,デパートを中心に各種大会が開かれている。平日開催なので,なかなか同行できないが,1年に1つ,と決めて参加している。


1年生のときは,(今は亡き)上野松坂屋
http://d.hatena.ne.jp/redips/20090727/1248702967


2年生のときは,丸の内キッズフェスタ
http://d.hatena.ne.jp/redips/20100818/1282114805


今年は,実力者たちが多く参加する東急将棋まつり。小学生大会は,学年を問わずA級(有段者),B級(級位者),初心者の3クラスに分かれてている。


会場に着いてみれば,関東だけでなく地方からも腕自慢が来ていて,知っている子たちがゾロゾロ。A級参加者は70名弱。予選は2勝通過,2敗失格で,20分切れ負け*1。決勝トーナメントに進める確率は2分の1。


今回は,長男にとって初めての体験。それは,師匠・宮田先生が大会の会場に来られていたこと。先生は,普段,土日も教室を開いているので,大会に顔を出されることはないが,今日は,道場の定休日。それに芹田先生も来られ,2人の師匠を前に,ミットモナイ戦いはできない。辛口のツートップが現地に来られたので,長男も緊張したというが,嬉しかったようだ。


先生の周りには,対局を終えた教室の生徒たちが次々と集まって,「勝った〜」「負けた〜」と報告に来る。やっぱり他の子たちも御大将の陣中見舞いが嬉しいようだ。蛇足だが,「ひらけ駒」の南Q太先生も,来られていたようだ(もちろん,息子さんが出場)。


予選の1局目は,いきなり道場仲間のぶんちゃん。あまり見たくない対局なので,しばらく場を離れていたら終わっていた。勝ち。あと1勝。


2局目は,八千代のS君(6年生)。矢倉後手から攻めたが,切らされて負け。1勝1敗。


3局目は,?君(5年生くらい)。角換わりから多少危ない場面もあったが勝ち。2勝1敗。ギリギリの予選通過。


相変わらず私は局面がわからないので,両先生の発言,表情からこれらの対局状況を汲みとることになる。「今日は,相当悪いですね」「5級の手ですね,あれは。」「あり得ない手を指してます。」「あんなに弱かったかなあ。」「どんな相手でも今日は負けます。」などの辛口を聞いてる私としては落ち着かない。


実力伯仲のA級では,予選通過も容易ではない。先日行われた名人戦東日本大会の出場者の中でも,何名か予選落ちした。三茶道場からA級に4人出たが,残念ながら他の3人は予選通過できなかった。圧倒的に5年,6年が強い。確か33名が予選通過したが,私が見たところ,低学年は2名。


決勝トーナメント1回戦は,何度か対局したことがあるF君(5年生)。この対局も,先生からは酷評の一局で,私も諦めていたが,途中から盛り返し,終盤では「辛い。辛いなあ」と先生に言わしめる手が続いて勝ち。これでベスト16。低学年はたぶん1人になった。


次の対局相手がなかなか決まらなかったが,勝手に渋谷のS弟君が勝ちあがってくるものと思い込んでいた。ところが,勝ち上がってきたのはS弟君を破ったM君(長男も私も知らない子。確か6年生)。


始まって3分後くらいで,早くも「ヒドいことになってます。」というコメントをいただいた。もはやここまでと,プロの席上対局を覗いたり,物販コーナーを見たりして時間を潰していた。そうしているうちに,「こっちもヒドい手を指してますが,相手も付き合ってヒドい手を指しています。」と,互角の勝負の雰囲気になっていた。


最後は詰むや詰まざるやの状況で,トン死筋を避けて勝利。ベスト8。


次の対局まで1時間弱あったので,両先生と,長男と私の4人で,レストラン街へ。直前の対局の終盤戦について,私を除く3人であれやこれやで盛り上がっていた。「まあ,見せ場は作った。」「あの将棋で勝っちゃったんだから,今日はツイてるかもしれない。」などの励まし(?)を受けて会場へ戻る。


相手は,山梨県名人を破って上がってきた千葉のM君(5年生)。なかなか対局する機会を作れない有名人だ。あと2つ勝てば席上対局・・と思ったが,ほとんど見せ場を作ることもできず,完敗。しかし,このM君も準決勝では敗れてしまった。


宮田先生は,敗戦後「よし,2枚落ちでやろう」と,会場の隅で,さっそく指導をしてくださった。容赦なく押しつぶされ,「こんなものだ。明日から2枚落ちからやり直し。」と。これが宮田先生流の総括なのかなと。

*1:大会運営上仕方ないとは思うが,デジタル対局時計を使っていたことだし,できれば秒読みも欲しいところ。実際に,多くの対局が時間切れで終わっていた。