Footprints

弁護士・伊藤雅浩による仕事・趣味・その他雑多なことを綴るブログ(2005年3月開設)

自炊代行業者に対する訴訟の雑感

1週間も前の話。12月20日に著名作家の東野圭吾氏ら7名が,いわゆる「自炊」の代行業者2社を著作権侵害にあたるとして,スキャン行為の差止を求める訴えを提起したという。


隠語である「自炊」という言葉が,いつの間にか報道でも普通に使われるようになってしまった。


原告の主張の骨子は,

原告側は、不特定多数の利用者から注文を受け、多くの書籍をスキャンして電子ファイルを作成し、納品する行為について、書籍の著作権者の許諾なく行うことは、著作権法の複製権侵害に該当すると指摘。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111221-00000046-impress-inet

というところ。提訴に至るまでには,質問書のやり取りがあるなどの前哨戦もあったようだ。


これに対して,ネットでは様々な意見が飛び交う。例えば,「ブラックジャックによろしく」で有名な佐藤秀峰氏は,原告の主張に違和感があるとして,

なぜ読者は、購入した本の使い道までを、作家に指示されなくてはならないのでしょうか。

購入した本は購入者の物で、楽しみ方は自由なはずです。
お年寄りの場合、電子書籍のほうが文字を拡大して表示できるので便利ですし、若者にしても、何冊も紙の本を持ち歩くのは重いので、データを端末に入れておいたほうが、どこでも読書ができて便利ということもあるでしょう。

自炊は本をデータに置き換えて、個人の範囲内で使用する物ですから、作家活動には何ら影響を与えません。
自炊によって、本の売り上げが下がるというようなこともなく、むしろ、自炊をするためには読者は本を買わなくてはいけません。

http://mangaonweb.com/creatorDiarypage.do?cn=1&dn=32817

と述べている。


これに対して,「もしドラ」で有名な岩崎夏海氏は,ある意味強烈な主張。

本は、購入した人の所有物ではありません。そもそも、太陽とか土とか水でできた紙を使ってできた本を、数百円払ったくらいで「所有」しているという考え方がおこがましい。

http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20111225/1324797973

という部分に代表されるように,「本は大事にしなければならない」という信条,信念を出発点としておられるが,論理としてはかなり「?」だ。


そこで,この岩崎氏の主張に対し,マーケティングプロフェッショナルの大西宏氏が,

http://ohnishi.livedoor.biz/archives/51304146.html

で,痛烈に非難し,原告側の態度を批判する。

わざわざ代行業者に料金を支払ってまで自炊を依頼し、電子化させたい読者に、作家はむしろ感謝すべきで、その代行業者を訴訟することは、読者軽視以外のなにものでもありません。しかも代行業者が電子書籍の時代を切り開く存在とはとうてい思えません。みせしめの訴訟としか映りません。まったくの驕りです。しかも怒りの矛先は、携帯向けだけをやって、本格的な電子出版に遅れてしまった出版業界にこそ向けるべきです。

(個人的には,岩崎氏への批判の前半部分は納得できるが,出版社に向けるべきという後半部分は納得できない。権利者が誰に対してどのように権利行使するかは原則として自由であるから。)


これらの議論は,法律論というより,本は大事にすべきだ,とか,電子出版に遅れた出版業界が悪いとか,論点が拡散しているので,まとまりようがない。そして,法律的な観点では,福井健策弁護士のインタビューにもあるように,現行法の枠組みの中では,原則として自炊代行サービスはクロに近いというのが多数説だろう。

http://ebook.itmedia.co.jp/ebook/articles/1112/23/news009.html


では,自炊代行業者にまったく勝ち目がないかというとそうではないようにも思える。業者側に立ってみれば,著作権法30条1項における「使用する者が複製する」の主体は,規範的にみれば,業者ではなく,依頼者であるから,私的使用目的の複製にあたるという主張が考えられる。


現にスキャン行為を行うのは,業者だからそれは無理では・・というのが第一感なのだが,複製権侵害の主体を判断した今年の最高裁判決「ロクラクII事件」では,

録画の指示を当該サービスの利用者がするものであっても,サービス提供者はその複製の主体であると解するのが相当である。すなわち,複製の主体の判断に当たっては,複製の対象,方法,複製への関与の内容,程度等の諸要素を考慮して,誰が当該著作物の複製をしているといえるかを判断するのが相当であるところ・・・

としていて,「複製の実現における枢要な行為」をする者が複製の主体だという判断を行った結果,録画ボタンを押した利用者ではなく,ボタンを押せば録画できるという環境を整備した業者が主体だとした。金築裁判官の補足意見でも,主体の判断においては,

単に物理的,自然的に観察するだけで足りるものではなく,社会的,経済的側面をも含め総合的に観察すべきもの

としている*1。これは21条の「複製」の主体判断における判断だが,30条1項の「複製」においても,同様に「社会的,経済的側面をも含め総合的に観察すべき」というべきだろう。


そうなると,スキャンする書籍を所有し,業者に対してスキャンを指示しているということ,業者は単にスキャナを操作したに過ぎないことなどに照らせば,総合的にみて利用者が複製の主体にあたるという判断がなされる可能性も,一応はあるかと思える(むしろ一般人としての感覚はそちらに近いのではないか。)。


というか,業者側が勝つとすれば,今のところそこを突くしかないように思えるので,今後の展開に注目したい。

*1:ここは,事実認定の問題に,あまり評価を混ぜるべきでないという批判があるし,私もそう思う。総合的に規範的に判断するとなれば,解釈の幅が広がり,予測可能性が失われるからだ。とはいえ,ここではその問題はひとまず措く。