Footprints

弁護士・伊藤雅浩による仕事・趣味・その他雑多なことを綴るブログ(2005年3月開設)

著作権法学会

昨日は,著作権法学会の研究大会へ。


私は学会会員ではないが,午後のシンポジウムのテーマが「著作権の間接侵害」という,今,熱いテーマの一つだったので,聴講してきた。


パネリストは,大渕教授(東京大学・元裁判官),前田教授(立教大学)と三村弁護士(元知財高裁判事)。学会らしく,物権的請求権の相手方との対比を行うなど,民法学からのアプローチを試みるというアカデミックなシンポジウムであった。


しかしながら,一番注目を集めたのは,今年相次いで出された最高裁判例(まねきTV事件,ロクラク2事件)に対する三村元判事のコメントだろう。


まず,まねきTV事件については,例の「当該装置を用いて行われる送信が自動公衆送信であるといえるときは,自動公衆送信装置に当たる。」という判示部分を「トートロジーである」と一刀両断。会場全体でうなずく人多数。


とはいえ,内容に関してより批判的だったのは,ロクラク2事件における複製の主体を事業者であると擬制した部分だった。そこで用いられた比喩が会場の笑いを誘った。


三村元判事によれば,送信可能化とは,回転寿司でいうところのコンベアに寿司を乗せる行為だと。その行為の主体としては,まねきTV事件で判示されたように「当該装置が受信者からの求めに応じ情報を自動的に送信することができる状態を作り出す行為を行う者」とすることに納得感が得られると。


他方,複製とは,回転寿司でいうところの回ってくる寿司を取って食べる行為だと。ロクラク事件のように,寿司を選んで(番組を選んで),寿司を取る(録画の指示を出す)という行為をせず,テレビ放送を複製機器に入力するサービスを提供している者を主体とするのには違和感があると。


また,これまで主体の判断基準として,カラオケ法理が独り歩きしすぎたことに待ったをかけた金築裁判官の補足意見とは同意見だったようだ*1。特に,「利益の帰属」という要素について,過度に重視されていたことに憂慮されていたようだ。もともと,キャッツアイ事件では38条(非営利上演)が問題になっていたからこそ,利益の帰属を考慮したに過ぎない。その他の裁判例においても,絶対的な要件になっていわけではなく,また,原告が損害賠償を請求していたために,報償責任を基礎づける要素として利益帰属性を問題にしていたようだ*2


ただ,利益帰属性を過度に重視しなくともよい,ということがわかったとしても,サービスの適法性判断がしやすくなったことにはならず,かえって予測可能性を失わせるという危険もある。キャッツアイ事件に加えて2つの最高裁判決が出たことで,それらに近いサービスについては,予測の精度が高まったともいえるが。

*1:独り歩きしたといっても,判決文の中で,明示的にキャッツアイ事件を引用したのは,主体性を否定したロクラク2事件控訴審判決など,限定されている。

*2:とはいえ,差止請求しかしなかったとしても,侵害行為の主体判断において利益帰属性をまったく考慮要素に含めなかったわけではなく,管理支配性の一要素として考慮されていただろう