Footprints

弁護士・伊藤雅浩による仕事・趣味・その他雑多なことを綴るブログ(2005年3月開設)

センスが悪い=理解・知識不足?

1月に入って,中間試験,レポートのたぐいが続々と返却されている。講評,コメントをみながら一喜一憂したりもする。


結果じたいは,思っていたより良く評価していただいたものが多いので,嬉しかったり,安心したりもするのだけれど,本日返却された民事法のレポートに付せられていたコメントをみて,いろいろ考えさせられた。


全体的には好印象のコメントをいただけたのだが,「論述の進め方を工夫すると更に良くなると思います」というなにげないひとことがついていた。


法科大学院の試験や,レポートでは,私は,よい点数を取ることが最も重要なことだとは思っていない。むしろ,(単位を落とさない程度に)自分の弱点が明確になり,奮起させられるような刺激を与えられることが重要だと思う。これまでも,中間試験や,途中のレポートなどで痛い目に遭った科目ほど,勉強のやる気も湧くし,「そういうことだったのか」と気づかされることが多かった。


そんな中で,今回もらったコメントは,少し気になる。このコメントを書いた先生の徳というか,キャラクターを考慮すると,その実質は,悪く言えば「論述の進め方のセンスが悪い」ということだろう。これは結構痛い。


話は変わって,私はコンサルティング業界で8年間過ごしてきた。学者の論文とは異なるが,基本的に文書を書くことが多く,人に説明したり,説得する機会も多かった。また,促成栽培の業界であったから,2年目にはすぐに下に人がついていたし,年々,ぶらさがる人の数も増えていった。


そんなわけだから,文書の書き方,ロジックの組み立て方など,実務の中で多くの指摘を受けてきたし,そしてまた多くの人に「この書き方じゃ,ロジカルじゃない」「言ってることが伝わらない」などと,極めてエラソーに指導することもあった。


それが今やふたたび振り出しに戻り,「論述の進め方を工夫せよ」である。畑が変わってしまうと,これまでの積み重ねがそう簡単に横展開できるわけではないということを思い知らされる。


そこで考えてみたのだが,私が本当にセンスが悪いかどうかは別として,こういう印象を読み手に与えてしまう原因は他にもあると思われる。それは,理解不足だ。例えば,上記の仕事の場面でも,私に「ロジカルじゃない」と指摘されていた若手は,決して頭が悪いのではなく,種々のデータ,経験則などに関する知識,経験不足により,「よくわからないけれど,書いてしまった」という状態だったと思われる。それを理解している者が読むと「ロジカルシンキングしてんのか?」と映ってしまう。きちんと知識やデータを理解していれば,表現に移すときのエラーは確実に減るはずである。


今回のレポートを振り返ってみても,一部の箇所で,私は「一般的なこと→特殊なこと」という順で書くべき基本原則に反し,「特殊なこと→一般的なこと」と書いていた。講評を読み,落ち着いて考え直してみたところ,ちゃんと理解している人が読んだら奇異に映るだろうなあ,と感じた。ちゃんと理解していれば,そのようなエラーをする可能性は減るだろう。


まとまりがなく長くなってしまったけれど,結局,条文・制度の趣旨目的や判例・学説の対立や関係,位置づけをしっかり理解しておくことが,もっとも重要だという,いつもの結論に落ち着くことになる。