Footprints

弁護士・伊藤雅浩による仕事・趣味・その他雑多なことを綴るブログ(2005年3月開設)

創るセンス

少し前に読んだ森博嗣のエッセイについて。


創るセンス 工作の思考 (集英社新書 531C)

創るセンス 工作の思考 (集英社新書 531C)


森博嗣先生は,名古屋大学建築学科の助教授として研究・教育活動の傍ら,推理小説を書き始め,それがヒットした数年後,独立(?)された方。私が修士の頃に,処女小説「すべてがFになる」が出版され,大学の生協では平積みで売られていた。たまたま,当時乗っていたクルマが同じだったことや,友人の指導教官だったこともあり,勝手に親近感を感じていた。


このエッセイでは,「ものを作る体験」の重要性や,これが失われようとしている現状への警鐘がつづられている。


私自身は,不器用で,プラモデル作りも下手だったし,工学部出身といいながらも,工作系ではない情報工学だったので,この本でいう「工作」の経験は一般人よりも少ない。それでも,いくつか共感,感心した部分があるので,かいつまんで紹介する。

彼らは(注:文系の人たち),理系の技術者に対してこう言うのだ。「君たちの仕事は,なんでも計算どおりにいくだろうけど,私たちは人間を相手にしているのだ。そんなに簡単にことは運ばないよ」と。彼らは,機械や「もの」が,計算できるものだと考えている。技術というものを,そんなふうに見ているのである。(中略)

ようするに,工学に対する一般的な認識は,このような誤解の上に成り立っているといって良いだろう。技術者は,何度もそういう場面に出合うはずである。何故なら,発注する人は多くの場合,前記のような非工学系の人たちだし,また,あるときは工場長や現場の上司でさえ,非工学系だったりする。(45頁)


そこから,筆者の言いたかったのは

どんな物体であっても,計算どおりにものが出来上がることは奇跡だといって良い。

である。少し拡大して「物体」には「システム」「ソフトウェア」も含めてよいのではないだろうか。


コンピュータに関しても,80年代,90年代初頭は,多くの人が仕事・研究とは関係なくプログラミングを行っていた。筆者は,「このプログラムが『工作』そのものだ」とする。そして,その文化が消滅したことを嘆く。


順不同での紹介となるが,このほかにも「ステルス戦闘機がレーダーに映らないのはなぜか」といった問題に対する考え方や,センサーやモーターを使用しないで,自動販売機を工作するための機構を考えよ,といった課題などが挙げられており,読んでて飽きない。


最近読んだエッセイものの中ではオススメの一冊。