年末年始の休暇を利用して通読した良書の紹介。
帯に記載のとおり、スタートアップ投資関係者、とりわけ契約実務に携わる弁護士の必携書となることは間違いない。
これまで、投資契約に関する実務といえば、磯崎先生のこの2冊が鉄板で、後輩弁護士らにも、まずはこれを読むように、と勧めてきた。
しかし、これらの2冊は、会計士で投資家の磯崎先生の視点で書かれたもので、ファイナンスに関する基礎知識を与えてくれるが、具体的な契約条項について解説がメインとなっているものではない。だから、実際の案件での契約レビュー、交渉で直ちに役に立つというよりはバックグラウンド知識を与えてくれるものだった。
実務ではそれを専門的に扱っている一部の事務所・弁護士を除いては(私も含めて)手探りで読み解いたり、増島先生のブログで勉強したりして、実戦を通じて学んでいくしかなかった。
そうではありつつも、なんとか自分もスタートアップの仕事を10年少々続けていると、100件くらいは投資案件に関わるようになり(それでも専門の先生たちからすると、段違いに少ないとは思うが)、なんとなくそれなりに分かった気になってくる。
そんな中、2019年に出された下記の『ベンチャー企業による資金調達の法務』は、投資契約の実務について網羅的かつ丁寧に書かれており、自分がなんとなく理解していたつもりの部分がきちんと説明してあったり、知らないことが書かれていたりして、大変勉強になった。
本書『スタートアップ投資契約』は、モデル契約の逐条解説の形式で、これまでにない詳細さ、深さでコッテリと書かれており、実務家には大変重宝することは間違いない。逐条解説の形式になっているので、ついつい、実務で困ったときに該当箇所を拾い読みして辞書的に使いたくなるかもしれないが、それだけではもったいない。全体を通読すればきっと自分の知らなかったところ、あるいは「自分はこう考えるんだが」と反発したくなるところが見つかるはずだし、さらには、このモデル契約と同様の契約書案が投資家から出されたらどうやって返そうかと考えることで力がつくと思われる。
すでにサインのリデザインの書評で述べられているとおり、モデル契約はVC寄り(投資家寄り)となっている*1。しかし、契約交渉のスタートは、投資家からドラフトが出てくるのが現状の実務であるから、投資家寄りのモデル契約の内容について解説されている方が起業家としても有益だろう。
思えば、この10年少々の短い期間でも、随分と投資契約の内容は洗練されて、最近ではあまりに突拍子もないものが出てこなくなった気がする*2。本書のようによく練られたモデル契約書が公表されることで、さらに契約条件が合理的な範囲内に収まるようになるだろうと思われる。それはそれで契約交渉にかかるコストが圧縮できて関係者すべてにとって歓迎すべきことであるように思えるものの、気づいてみれば投資家寄りの内容に実務が固まってしまうという危険もある。そこで、本書のモデル契約の返歌(カウンター)として、起業家寄りのモデル契約を作って公表するという動きもあっていいはず。
メモその1。交渉上の論点になりやすい「プット・オプション(買取請求)」。「まあ、実際に買取請求してもお金ないし、そんなことしないって言われたし」と、交渉の時間切れにより投資家が妥協するケースも少なくない。実際に実効性に問題があるものの、私の経験においてですらプットオプションが行使されたケースがあるし、訴訟にもなったケースもある。行使にまで至れば、条項の文言ひとつひとつが重要な意味を持つことは言うまでもないので、安易な妥協はしたくないところである。
メモその2。本書は一般条項も含めて逐条解説があるが、「副本」条項で
当事者が署名又は記名押印した本契約の署名又は記名押印頁の原本の画像を記録したPDFファイルの電子メールによる送信その他の電子的方法による送信は、上記署名又は記名押印頁の原本の手交と同一の効果を有するものとし
とあった(211頁)。確かにこの方法によって全当事者の人数分の原本を物理的に作成することを回避することがこれまでの実務にもあった。このモデル契約を作成して議論されたのはコロナ禍前だったのではないかと思われるが、できれば、ここは電子署名を利用した方法についても言及してほしかったところ。