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弁護士・伊藤雅浩による仕事・趣味・その他雑多なことを綴るブログ(2005年3月開設)

証言 羽生世代

これまた期待以上,看板に偽りなしの本に出会った。大川慎太郎『証言 羽生世代』。

 

証言 羽生世代 (講談社現代新書)

証言 羽生世代 (講談社現代新書)

 

将棋ライター・大川氏といえば,前著「不屈の棋士」が面白くて,当ブログでも絶賛した。

masahiroito.hatenablog.com

今回のテーマは「羽生世代」であり,羽生世代の棋士たちはもちろんのこと,羽生世代と関わりの深い前後の世代の棋士に対する16人のインタビュー集である。

と,こう書くと,なんともチープな企画であるような気がするし,これまでにも羽生世代にスポットライトを当てた本はいくらでもあった。なので,企画としては平凡だが,大川氏のインタビューだし,まあ,読んどくか,というくらいの気持ちでポチっとした。

本書の魅力

羽生世代の定義や,その面々についていまさらここで語るまでもないのだけれど,私が羽生世代に注目し,応援しているのは,羽生世代(70年生まれの歳)と私が1歳違いだからというのが大きい。何度となく「衰えた」と言われながらも,50歳になる今年もトップ棋士であり続ける羽生世代の棋士たちは,ありきたりの言い方になるが,自分たちに勇気を与えてくれる。

私が本書を面白いと思ったのは,帯にあるように

世代交代が進む将棋界の天才たちがはじめて明かした本音

にある(「はじめて」といえるかどうかは未検証)。

羽生,森内,佐藤康らが今でもトップ棋士であることは疑いがないけれども,タイトルは失冠し,タイトルを狙うことも難しくなってきた。さすがに一時のような緊張からも解き放たれてきたことや,もういいオジさんになってきたこともあり,率直な感想を述べていたり,若いころの感情を暴露してくれたりしている。私などは,せいぜいここ10年少々のファンで,彼らを知った時からトップ棋士だったわけだが,若い修業時代や,トップまで駆け上がるころのさまざまな感情が垣間見える。ファンからすると,10頁に1回は涙を流したくなるシーンがある。

インタビューに答えた全棋士に対して「なぜ羽生世代はこれほどまでに強い人が集まったのか」という問いに対しては,ありきたりな答えばかりで,結局謎が解けたわけでもないのだけれども,そんなことはもはやどうでもよい。

人格者たること

しかし,改めて思うのだけれども,羽生,森内,佐藤康は地上に降りた天使なのではないかと思うほど,人格ができあがっている。本書で書かれたことではないが,体調不良のために竜王戦を戦えなかった羽生が対局相手の豊島に手紙を送ったという話などを聞くと,どれだけ徳の積めばよいのかと感じる。

 飯塚裕紀もこう語っている。

弟子たちには,『人の悪口を言わないように』と繰り返し言っています。羽生さんを始めとして,佐藤さんや森内さんが人のことを悪く言ったり,見下すようなことを言ったりすることはありません。

他にも似た趣旨の発言が他の棋士からもあり,敢えてヨイショする動機もないことから,こうした発言は信用できる。

将棋のように狭い人間関係の中で勝ち負けを競う厳しい環境にあれば,放っておいても他人の悪口を言いたくもなるだろう。並外れた人の良さがなければ,人の悪口なんて我慢できないはずである。

考え抜いていること

コンピュータ全盛期において,コンピュータソフトを指しこなせない中年以上の棋士たちは,すぐにでも脱落するかと思いきやそうでもない。その理由についても,かなり納得のいく説明があった。多くの棋士たちが,若いころに自分で一から考え抜いた経験が地力をつけさせたということを語っている。

コンピュータを使えば,少なくとも評価値的な意味で最善手が何か,ということは答え合わせが可能だ。なので,とことん考え抜くという経験を積んできたことは,若手よりも優位に立てる要素になっているという。

このことは極めて示唆に富んでいて,他の分野でも同様ではないかと思われる。常にAI,コンピュータが隣で答えを出してくれるわけではなく,自分で考えなければならないときがある。普段からどれだけ考えてきたのかというところで,そういう地力が試される。

 

羽生世代の棋士たちは,互いにつぶし合うライバルであると同時に,お互いのリスペクトもすごい。リスペクトを通り過ぎて森内が佐藤康光のことを次のように語っているところなどは涙が出そうだ。

いま,彼が会長として将棋連盟を引っ張っていることに感謝しています。ですが彼はやはり棋士なんです。世の中を見渡せば,彼より会長として適任な方はたくさんいるでしょう。でも,佐藤康光の将棋は彼にしか指せません。彼が将棋に注力できるような環境をつくってもらって,準備段階から本気の将棋をもう一度見たいという気持ちは強くあります

これから先,いやが応にも世代交代が加速する。A級,B1級から櫛の歯が欠けるように羽生世代の棋士たちが降級していくことは避けられない。でも,同世代として,少しでも長く第一線で活躍してもらえるよう,応援し続けたい。