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弁護士・伊藤雅浩による仕事・趣味・その他雑多なことを綴るブログ(2005年3月開設)

法科大学院の存続

6月12日,母校を含む6つの法科大学院の連名で,予備試験の受験制限等を求める緊急提言を出したことが話題になった。


これについては改めて言うまでもなく,多数の批判を浴びている。いわゆる下位ローではなく,トップクラスの法科大学院がこのような提言を出したというのは私も極めて残念であり,法科大学院制度の存続そのものが目的となってしまっている,といった批判を受けるのもやむを得ないと感じる。


では,トップ校がこのようなことを言いだしてしまった以上,法科大学院制度はもうおしまいなんだろうか。


いろんな弁護士がブログ,ツイッター等で法科大学院制度の批判をしている。正直なところ,その多くは,前提としている事実が私の認識,体験と違っていたりして,疑問を感じる見解も少なくない。法科大学院の教育の場で何が行われているのかを実際に見聞きしないまま批判しているケースも多いと思われる。


少なくとも母校の法科大学院での教育水準は,専門職大学院として極めて高かったと思う。3年間,年間80万円の授業料を払うだけの価値は間違いなくあった。確かに,即効性ある起案の訓練はあまり行われていなかった。しかし,ケースが与えられ,先例となり得る裁判例が提示されたり,それを自分で探したりして,その違い,解釈論の分析をしながら考えをまとめるといった訓練は何度も行った。こうした作業は,法律家として必要なスキルの訓練であり「無駄な課題ばかりやらされる」という感はほとんどなかった。また,それを一人で考えるのではなく,仲間と議論し,切磋琢磨するという環境はそうそう得られるものではない。


とはいえ,「たとえ司法試験に合格せずとも,法律家にならなくとも有意義だ」とまでは言わない。ここで訓練したことは,法律家になってこそ最大限に発揮されるから,法科大学院が上記のような教育をしている以上「絶対に司法試験に合格して法律家を目指せ」と言い続けてほしい。上記のような言葉は,合格させられなかった/合格しなかった場合のエクスキューズに聞こえて仕方がない。


また,すべての法科大学院が私が感じたような高水準の教育を行っていたとも思わない。むしろ少数であり,私は運がよかったとも思う。他の法科大学院卒業生らから話を聞いて推計すると,十分な水準の教育を行なえる法科大学院は多くて10校,学生数にして1000人から1500人くらいまでだろう。


法科大学院か予備試験か,という二分論ではなく,高度な水準を行なえる法科大学院ルートと,試験合格への近道を目指す予備試験ルートとが完全に併存すればよいと思う(受験資格の撤廃)。そういうことをいうと,誰も法科大学院に行かなくなる,という声もあるし,確かにさらに志望者は減ると思うけれど,実務において高評価を得られる程度の教育を行ない,少数校が本当に力を入れれば,司法試験の合格率もかなり高くなると思われるので,十分競争力を持ってくると思う。それだけの教育を実施できるはずの6校が,なぜ予備試験を排除しようとするのか,理解に苦しむ。


法科大学院制度の足を引っ張っているのは,ほとんど合格者も出さず,十分な教育が実施できていない多くの法科大学院自身であって,上澄み部分だけ取れば社会的に十分価値のある教育機関だと思うのだけれど。今は,少しずつ淘汰されていっているが,法科大学院不人気,法曹志望者離れのスピードからすると,今のスピード感では遅すぎる。


追記(6月23日)
私自身は,法科大学院の何らかのポストが充てられているわけでもなく,経済的利益を受けているわけではありません。むしろ,受験生のゼミ(昨年でやめたけれど)をボランティアでやるなど,持ち出しでした。法科大学院に好意的な内容を書いたりすると,すぐに「既得権益が」と言われたりするので,念のため。