Footprints

弁護士・伊藤雅浩による仕事・趣味・その他雑多なことを綴るブログ(2005年3月開設)

会社勤務時代(7)4つ目のプロジェクトIV 完結編

だらだらと書き連ねた回想シリーズの完結編。ようやく法科大学院生になるところまで。

2004年1月の本番稼働開始を延期せざるを得なくなったところからの続き。


もう少し,というところまでは来ていた。しかし,多少のレスポンス悪化や障害でも業務に致命的な影響を与えてしまうことから,品質を十分に改善しない限り危なくてしょうがない,ということで延期することとなった。問題はいつまで延期するか。ホストからのデータ移行,各種設定を考えると3連休でも切り替えは難しい。正月休みを逃してしまうと次はゴールデンウィークまで待たなければならなかった。


法科大学院への出願手続はすでに4校済ませていた。国立1校,私立3校。試験日は確か年末から年始にかけてだったと思う。この状況で,会社を辞めるという話は社内にも,クライアントにもできそうもない。正月に稼働できれば,4月から法科大学院生となることも許されるかもしれないが,5月に稼働するとなると,法科大学院に入ることは,直前に逃亡することを意味する。


しかし,上述のとおり,あと少しのところまで来ていたので純粋にシステム的に稼働させるために必要な作業は4か月も必要ではなかった。もちろん,時間さえあれば手を加えるところはいくらでもあったが。そのため,1月,2月と,時間が経つにつれて,プロジェクトは平穏を取り戻しつつあった(といっても,終電手前で帰れるレベル)。


そんな中で,出願した法科大学院のうち,1校は書類でハネられ,1校は人生初の小論文で玉砕し,1校は試験日の都合がつかず,最後の1校(国立)だけが小論文の失敗の結果を活かして合格することができた。合格発表は確か2月上旬だったと思う。


そのころにはプロジェクトの主要なメンバーには話をし,無責任な申し出だったにもかかわらず,キャリアの転換について理解してもらえた(と思う。)。


新システムも本番稼働を待つのみとなり,4月1日から,私はひっそりと法科大学院生となった。しかし,プロジェクトが継続中であるため,授業が終わるとほぼ毎日都心まで約1時間半かけて移動し,夜12時くらいまで仕事するという生活になった。だから大学には毎日スーツで通っていた。当時からは「(特に純粋)未修者は入学前に最低限の基礎知識を仕入れておくべきだ」と言われていたが,まったくその余裕はなく,しばらくは法科大学院生といっても,講義に出席するだけだった。


ゴールデンウィークは,ずっとプロジェクトルームで旗振りをして,無事に連休後の最初の営業日に本番稼働を迎えることもできた。その後は,他のメンバーがサポートしてくれたため,大学とプロジェクトルームを行ったり来たりする頻度はぐっと減り,8月には完全に退職した。しかし,だいたい月に1回のペースで後門の狼と戦うために東京地裁に行くことはその後2年近く継続し,当該紛争が終結したのは,ロースクール2年次も終わろうとしているころだった。


ロースクールに入学してからまもなく10年となる。
ブログを始めたのは,ロースクール生活を1年経た後なので,まもなく9年。


まとめ。
(1)ファーストプロジェクト 1996年-1997年
http://d.hatena.ne.jp/redips/20131002/1380722542

(2)2つ目のプロジェクト 1997年-1999年
http://d.hatena.ne.jp/redips/20131013/1381662081

(3)3つ目のプロジェクト 1999年-2000年
http://d.hatena.ne.jp/redips/20131027/1382881851

(4)転職 4つ目のプロジェクト開始 2000年-2002年
http://d.hatena.ne.jp/redips/20131111/1384096980

(5)4つ目のプロジェクト訴訟へ 2002年-2003年
http://d.hatena.ne.jp/redips/20131114/1384435550

(6)4つ目のプロジェクト 稼働延期 2003年
http://d.hatena.ne.jp/redips/20131207/1386405119

(7)4つ目のプロジェクト 終 2004年
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