Footprints

弁護士・伊藤雅浩による仕事・趣味・その他雑多なことを綴るブログ(2005年3月開設)

会社勤務時代(6)4つ目のプロジェクトIII

だいぶ間が空いてしまったので,これまでのあらすじから。


会社勤務時代(4)転職・・4つ目のプロジェクト開始
http://d.hatena.ne.jp/redips/20131111/1384096980

会社勤務時代(5) 4つ目のプロジェクトII
http://d.hatena.ne.jp/redips/20131114/1384435550


2000年に新しい会社設立時に加わって,事実上,最初のプロジェクトで大規模な基幹系システム開発のプロジェクトマネジャーをやることになったが,進捗が思わしくなく,クライアント(ユーザ)と,開発者(ベンダ)との間で紛争に発展した。


当該ベンダとの関係は切れて,新しいプロジェクトとして再出発したころにクライアントに訴状が届いた,という連絡を受けた。確か2003年6月から7月になるころ。


連絡を受けて急いでクライアントの事務所に向かって訴状を見る。

被告は,原告に対し,金○億円及びこれに対する訴状送達の日の翌日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。

恥ずかしながら「被告」「支払え」に度肝を抜かれた。「これって払わないとどうなっちゃうんですか」などと間抜けな質問が口から出たほどだ。


しかも分厚い訴状の中を読み進めると「訴外(私)」が何度も登場し,しかも,大変無能な人物のように描かれている。こんな文書が裁判所に届けられてしまった。あ・・どうすれば・・・と狼狽した。


ちょうどそのころ。


法科大学院が設立され,社会人から弁護士への道が広がるというニュースをよく見かけるようになった。まもなく,法科大学院入試のための共通センター入試が8月に開催されるため,出願期間だという。サンプル問題を見ると,なんだか知能テストというか,勉強しなくても(というより勉強しようがない)受けられるテストのように見えた。しかも,司法試験には,法科大学院卒業生の7割8割が合格するということになっている。


まったく司法試験,法律の世界に縁のない私だったが,司法試験が難関試験で,極めて合格率の低い試験だということは知っていた。それが7割,8割,社会人歓迎とある。しかも,当事者ではないが,訴訟に直面し,弁護士は頼りなく見える。法科大学院に入るための試験も知能テストだ。


誰にも言わず,こっそりと法科大学院入試センター試験の出願手続を行った。


しかし,現実は甘くない。開発ベンダが交替したことにより大幅に遅れているプロジェクトを何とかしなければならない(前門の虎)。そして,旧ベンダからクライアントが訴えられており,仮にこれが認められるようなことがあれば,予算は2倍かかってしまう(後門の狼)。後門の狼の作業を他のプロジェクトメンバーにやらせるわけにはいかないので,こちらは私と弁護士,クライアント1名の裏プロジェクトとして進めつつも,ふだんは前門の虎に立ち向かうこととなった。


訴訟は,第1回弁論期日後すぐに付調停となり,専門委員がついた。毎回,調停期日に同席し,調停委員らの質問に直接回答する役割となった。相手方は,大手の法律事務所。期日には毎回若くてパリッとしたアソシエイト数名,ベテランのパートナーが出頭する。数名がガラガラとキャリーバッグにびっしりと記録を詰めてくる。そのキャリーバッグに模範六法が入っていて,席に着くとテーブルにドシンと置いていたのが印象に残っている。


なんだかんだいっても,訴訟対応作業は「疎」で,毎月出頭するといっても,それほど時間を割くものでもないし,準備のためにメールを漁ったりする作業量も「前門の虎」ほどではない。2003年10月が当初の稼働開始予定だったが,開発ベンダの交代等の事情が考慮され,2004年1月とすることに変更された。しかし,ベンダが交代したにもかかわらず稼働時期が3カ月しか変わっていない,とみるべきで,これでも十分にキツい。


さて,法科大学院入試の話。休日のプロジェクトルームを抜け出して,センター試験を受験し,何事もなかったようにプロジェクトルームに戻る。TOEICも同様だった。TOEICは新入社員のとき以来,7年ぶりに受験するのに,何の事前対策も取ることはできなかった。


2004年1月が近づいてきた2003年10月からの3カ月は,これまでの人生でもっとも労働時間が長かった期間で,月の労働時間は400時間ほどになった。休日はゼロで,家に帰らず,プロジェクトルーム近辺のホテルに泊まることも増えた(床や椅子では寝なかった)。一度,胃痛でプロジェクトルームから動けなくなり,半日入院したこと以外は,意外にも体調が崩れることもなかった。


このころは,四六時中プロジェクトの状況しか考えられず,寝ていても枕元にメモ用紙とペンを置いていた。「そういえば,○○のテストをする予定を計画に入れてなかった!」ということを夜中に思い出すと,そのままメモを残したり,起きて出動した。


最盛期のプロジェクトメンバーは150名以上いた。連夜の各チームミーティングにすべて出席するとそれだけで会議の終了がAM2時くらいになることが当たり前となった。メンバーの奮闘にもかかわらず,稼働予定目前の12月には厳しい判断を仰がざるを得なくなった。


再度の延期。

(つづく)