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弁護士・伊藤雅浩による仕事・趣味・その他雑多なことを綴るブログ(2005年3月開設)

10.8巨人vs中日史上最高の決戦

1994年10月8日,プロ野球史上最高の試合と言われた巨人と中日の優勝決定戦のドキュメンタリー。


10・8―巨人vs.中日史上最高の決戦

10・8―巨人vs.中日史上最高の決戦

19年も前の話だが,読んでみて当時のことを思い出して熱くなる本だ。


この試合は,あまりにも有名すぎる試合。1994年シーズン,首位を独走しつつも9月から急に調子を落とした巨人と,それを猛追する中日。取って計ったようにお互い129試合を消化した時点で勝敗数が一致し,最後の一戦を残すのみとなり,しかも,それが直接対決となる。つまり,勝った方が優勝するという試合がナゴヤ球場で行われた。


当時の監督は巨人長嶋,中日高木。結果は・・・


この試合は「史上最高の試合」などと言われることがあるが,決して試合内容が最高だった試合ではない。舞台として最高だったという意味で,試合としては,序盤で早々に決着がついたという意味ではたいして盛り上がった記憶がない。巨人対中日で最高の試合といえば,昭和57年9月28日,4点差,9回裏で江川から4点を奪って延長に持ち込んでサヨナラ勝ちした試合や,昭和62年8月9日,近藤真一がプロ入り初先発でノーヒットノーランを達成した試合だろう(笑。

http://www.youtube.com/watch?v=JukFwDkeWq8
http://www.youtube.com/watch?v=p4r4Z59WOe8


日本シリーズなどのように,もともと用意されていたドラマではなかった。お互いに勝ったり負けたりして,2日前くらいになってようやく,「最終戦に勝った方が優勝」という舞台になることが決まる。ちょうど,その日,大学院1年だった私は,合コンが予定されていたものの,どうしても試合が見たかった。そのため,強引に開催場所を広い家に1人で住んでいた友人宅へと変更し,参加した女子をそっちのけで,テレビの前に座った。


この試合,前年まで中日の四番だった落合が,巨人の四番として大活躍した。お互い,槙原,今中というエースをぶつけてきたが,落合が先制本塁打と,同点に追いつかれた後の勝ち越しタイムリーを打つ。合コン参加者全員がテレビの前でそろって中日を応援するという雰囲気ではなく,一人だけ,テレビの前で叫び声を上げてヒンシュクを買う人がいたという感じだっただろう。


勝負は4回に今中が降板したところでついていた。その後の経過はよく覚えていないが,高木監督の投手リレーがどうしても納得いかなかった。巨人は,槙原が先発し,序盤で打たれるとすぐに斎藤に交代。そして最後は桑田で締めるという,長嶋監督がエース3人の豪華リレーを演出したのに対し,高木監督はあくまで「130分の1」というスタンスで,リードされれば,いつもの中継ぎ(キク,野中ら)を送り出す。斎藤や桑田は,直前の試合で先発していたにもかかわらず,だ。中日の当時の三本柱の残り二人,山本昌郭源治が登板することはなかった。


本書でもこの投手リレーについては,いろんな人のコメントを引きながら批判的に書いている。私も,このときの高木監督の印象が強すぎて,今の中日に対しても応援に力が入らない。


本書には,試合経過に沿って,この試合を戦った主力選手やコーチの証言が多数載せられている。そして最後には,「10.8後の人生」という章で,出場選手,コーチ,関係者ら一人一人のその後の状況が1段落ずつ書かれていて興味深い。例えば,身長165cm,「小ーさーいけれどー,根性はー,日本一」の応援歌で知られる(?)小森哲也について,

「10.8決戦」の最後の打者となった小森哲也は97年まで中日でプレーして現役を引退。引退後は中日OB会などにも出席せずに,球界からは遠ざかっている。

など。


そして驚いたのは,イチローがこの試合を三塁側スタンドで観戦していたというエピソードで締めくくっている。1994年のイチローといえば,史上初の年間200本安打を達成してブレイクした年だ。


中日ファンにとっては,読み返すたびに残念な気持ちになる本だ。