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弁護士・伊藤雅浩による仕事・趣味・その他雑多なことを綴るブログ(2005年3月開設)

残業代求め法テラスを提訴

本日,同業者をにぎわせた話題。「残業代求め、法テラスを提訴…常勤弁護士」。


http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120424-OYT1T00615.htm

独立行政法人・日本司法支援センター(法テラス、東京)が、常勤弁護士を労働基準法上の管理監督者(管理職)と見なして残業代を支払わないのは違法として、法テラス八戸法律事務所(青森県八戸市)の安達史郎弁護士(36)が、法テラスに超過勤務手当など約109万円の支払いを求める訴訟を八戸簡裁に起こしていたことがわかった。


この事件,いろいろと話題のネタとなる箇所がある。


私が知る限り,残業代を支給されている法律事務所の勤務弁護士はいないので,仮にこの請求が認められたら,世の法律事務所の経営者(パートナー弁護士)は大変なことになるんじゃないか,という点。


この件を考えるには,法律事務所の勤務弁護士と,事務所との関係は,労働契約なのか,という問題に立ち返らなければならない。労働契約関係でなければ(言い換えれば,勤務弁護士が労基法の「労働者」でなければ),残業代の支払い義務は生じない。多くの事務所経営者は,「アソシエイトとは労働契約を結んでいない。準委任だ。」と考えているのではないか。現に,そう明言する人も多い。


一方で,そういいつつも,「給与」を支払い,給与所得者として取り扱っている例も多い。同じような働き方をしていても,事業所得として確定申告している弁護士も多い。この問題について,判断された裁判例はおそらくないのではないか。


これまで労働者性が争われた事件は多い*1。契約の形式で決まるのではなく,実態として「使用され」ていて,その対価として賃金を支払われているかどうか,という点で判断される。「使用されているか」という点は,(1)仕事の依頼を断る自由があるか,(2)業務の内容,遂行において指揮命令を受けるか,(3)勤務場所,時間が拘束されているか,(4)他人に代わってもらうことができるか,という事情で判断される。「賃金」については,源泉徴収の有無,雇用保険等の徴収の実態などの要素が考慮される。仕事で使う道具(たとえばPC等)を自前で用意しているか,といった点も考慮されることがある。


手元には古い版しかないが,菅野和夫「労働法(第七版)」85頁には

医師,弁護士,一級建築士など特別の能力,資格または知識を持つ者が(中略)職務の内容や質量において使用者の基本的な指揮命令の下にあって労務を提供し報酬を得ているという関係にあれば,「労働者」といえる。

としている。法律事務所の契約形態,勤務実態は,事務所によって千差万別なので,本件による判断により,一律に「弁護士は労働基準法における労働者」(あるいはその否定)ということにはならないだろう。


ところが,本件では,使用者たる法テラスは労働者性は特に争っていないように見える。というのも,法テラスは,「常勤弁護士は労基法上の管理職にあたり、支払う必要はない」と述べていたようで,これは弁護士が労働者に該当することを前提とする主張だからだ。ただし,これは原告側の取材のみに基づくものと思われるので,訴訟においては異なる主張になることも十分ありうる。


仮に労働者性が認められると,管理監督者労基法41条2号)に該当する場合くらいでないと,残業代の支払い義務をまぬかれることは難しい。もっとも,勤務弁護士は,通常部下もほとんどいないので,管理監督者に該当しにくいと思われる。なお,弁護士の場合は,専門業務型裁量労働制(同法38条の3)を導入すれば,みなし労働時間を適用することができる(労基法施行規則24条の2の2第2項6号,厚生労働大臣による指定)。ただ,ほとんどの事務所では,裁量労働制の手続をしていないだろう(医者の不養生,紺屋の白袴)。


もう一つ,話題となったのは,「月17時間の残業」というポイント。正直なところ,多くの弁護士が「それだけ?」と感じたのではないか。本件の原告も,この金額を取りに行ったというよりは,この問題に対する一石を投じたかったのではないかと思われるので,時間の長短はあまり問題ではないが,平日1日あたり1時間未満の残業というのは,世の水準からするとだいぶ少ない。しかも,所定労働時間は7時間30分だったというから,時間外割増賃金(基本は125%)が請求できる8時間超の部分はさらに少ないだろう。


訴額からすると事物管轄から簡裁となっているが,おそらく地裁に移送されるだろう。和解で終わる可能性も高いが,個人的には,少なくとも労働者性についての判断をしてもらいたいところ。

*1:吹奏楽団員,NHKの受信料集金者,映画製作技師などの例がある。