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弁護士・伊藤雅浩による仕事・趣味・その他雑多なことを綴るブログ(2005年3月開設)

ビジネスパーソンのための契約の教科書

福井健策弁護士による新刊の新書。


ビジネスパーソンのための契約の教科書 (文春新書 834)

ビジネスパーソンのための契約の教科書 (文春新書 834)


これまでの福井先生の著書と同じく,やさしい語り口調で,面白く,分かりやすく「契約の基本」が書かれており,まさに「教科書」と呼ぶにふさわしい良書。


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前半は,著者の経験を踏まえた契約交渉における現状の紹介や,問題提起がコラム風に展開されている。私は,著者の何十分の1かの経験しかないが,国際ライセンス取引における英文契約をめぐる契約交渉の実態や問題点においては,うなずける場面が多い。ただし,ここで取り上げられているメディア・エンターテイメント業界と比べて,同じ知財でも技術系(特許ライセンス,共同研究開発等)の分野では,日本においても,もう少し契約に対する意識が高いような気がする。しかし,多くの中小企業では,まだ英文契約に対する抵抗感は強く,少々納得いかない条件であっても,「合意優先」で進めてしまう傾向は否定できない。


だからといって,日本企業が,外国企業(特に欧米企業)との取引において,常に,控え目で,自分たちの主張ができないかというとそうでもない。私が昨年経験した契約交渉案件では,日本企業(大企業)のリーダー・担当者たちは,みな非常に優秀であり,かつ,その取引(一種のM&Aだが,提携ともいえるだろう。)に対する目的が明確で,自らの戦略と合致しない条件には,強く否定し,こちら側の要求もきちんと伝えていた。相手方(米国企業)は,それ以上に強硬だったため,契約交渉は難航し,想定以上に時間と工数がかかった。


特に多くの時間が割かれたのは,両者の協力関係の解消条件と,解消手続,そしてその後の拘束関係に関する部分だった。たとえるならば,これから結婚しようとする両者間で,離婚の条件や,その場合の財産分与の方法や,離婚後の両者の関係について,ほとんどの時間が議論されたことになる。両者のトップが,こういう問題を重視し,レベルの高い議論を行ったというのは,私にとっても非常に貴重な体験だった。結局,条件が折り合わず,この取引は成立しなかったが,十分な議論を経た結果でもあるので,無理に相手の提示する不利な条件をのむよりはマシなはずで,無駄な時間ではなかったと思う。


話がそれてしまった。こうした話はまれで,国際契約に限らず,著者が書いているように,契約交渉や契約書の内容にコストと時間をかけないケースが多い。それがどんなリスクをもたらすかということが,本書にはわかりやすく書いてある。


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後半は,少々毛色が変わっていて,契約書にかかわる実務ガイドとなっている。例えば,「捨印の意味は?」「『及び』と『並びに』の違いは?」などのよくある契約実務のルールがわかりやすく解説されている。特に企業の契約担当者が「ものとする」という語尾をこのんで使うという例は,普段から私もよく目にしていることもあり,笑ってしまった。私がドラフトする契約書では,なるべく「ものとする」は使わないようにしている。


形式面の話ではないが,よく,サービス規約などでは,「・・の場合でも責任を負いません」という免責文言が挿入されている。私がチェックした,とある規約では,A4で15頁ほどの規約に,35箇所もの「・・責任を負いません」という免責文言があった。どうせ誰も読まないだろうと思って,最大限,免責条項を押し込んだのだろうと思われるが,細かいサービスの説明1つ1つに「責任を負いません」と書かれると,こちらとしては,もとから,そんなことが起きても責任を問うつもりはなかったが,そこまで書かれると,そんなサービスは利用する気がなくなってしまう。規約の作成担当者が相当気合を入れて作ったのだろう。


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こんな感じで,本書に書かれているエピソードなどを見ていると,自分の少ない経験をいくつも思い出させられ,あっという間に読み終えてしまった。契約書の意義や,Tipsなどがコンパクトにわかりやすく書かれている本はなかなか見当たらないことから,サブタイトルにあるような「ビジネスパーソンのため」に限らず,大学の一般教養課程などの教科書としても十分使えるのではないかと思う。というより,ロースクールでも,実定法解釈学ばかり教えているが,本書を参考図書としながら,実務でよく目にする「契約書」のドラフティングや,交渉についても指導したほうがいいのだろうなあと思った。