Footprints

弁護士・伊藤雅浩による仕事・趣味・その他雑多なことを綴るブログ(2005年3月開設)

Number790 秋のプロ野球名勝負決戦秘話

最新のNumberでは,1994.10.8(中vs巨)や,1988.10.19(ロvs近)など,プロ野球ファンなら日付を見ただけで「あー,あの試合ね」とわかるような名勝負の特集。


ざっと読んでみたところ,落合博満は4カ所ほど登場する。


時系列でみていくと,最初は1988年日本シリーズ

第2部「エースと四番の栄光と蹉跌」における清原和博の記事で,中日の選手だった落合が登場する(46-47頁)。

このシリーズ,明暗をわけたのは4番打者だと言われた。西武の4番,清原は3本塁打,4打点。一方,中日の4番を打った落合博満はホームラン,打点ともにゼロ。シリーズ後,落合自身が敗因について「4番の差だ」と口にしたとも報じられた。


続いて,1994年10月8日。勝った方が優勝,長島茂雄をして「国民的行事」と言わしめた有名な10.8決戦の記事で,巨人の選手だった落合が登場する。


先発した中日の今中が述懐する(30頁)。

「巨人を抑えるには,落合さんを抑えるしかない。僕はそう思っていたんです」
(中略)
前年のオフに導入されたFA制度によって中日から巨人に移籍したのが落合だった。
「何としても落合さんを抑えなければならないと思って,実際,シーズン中は打たれていなかったと思います。ただ・・」
今中の頭の中には消し去ろうとしても,決して消去できない落合の言葉が残っていた。
「オマエと対戦したら,オレはカーブしか待たないよ」
移籍が決まった直後のことだった。いきなり落合にこう言われた。
「そういう『いらんこと』を一杯,言い残して移籍して言っていますから。カーブは放れないじゃないですか。しかも中村さんには違うことを言っているし・・・」

ちなみに,中村武志捕手には「あいつの真っ直ぐはオレには打てんな」と言い残したらしい。


そして,中日が53年ぶりの日本一になった2007年11月1日。有名な完全試合目前の山井を後退させた落合監督(65頁)。

「監督っていうのはな,長い航海を行く,船長なんだよ。乗組員全員を,その家族を,無事に目的地まで到着させる義務があるんだ。だれか1人のために船を沈めることはできないんだ。」


最後は,クライマックスシリーズプレビューの落合監督特集記事。9月22日の監督退任発表後の快進撃について(21頁)。


9月23日の対ヤクルト戦,荒木は井端のヒットで二塁から本塁を突き,ヘッドスライディングをして決勝点のホームを取った。荒木は,落合監督就任中の8年間,1度もヘッドスライディングをしたことはなかった。危険だからこそ,落合自身も禁止していた。

「荒木のヘッドスライディングを見て,オレが何も感じないと思うか?あのプレーは選手生命を終わらせる可能性もある。あいつらの気持ちは百も承知だよ。だから,オレは何も言わない。言う必要がないんだ。」


こういう選手であり,監督であった落合が,なぜ退任しなければならないのか。まったく残念。


ちなみに,この時点で移籍先が明らかとなっていなかった山崎武司楽天)の移籍先候補としては

勝利至上主義を捨て,地元への温かいチーム作りを目指す,ドラゴンズだろうか。

とされている(104頁)。


本日時点で,クライマックスシリーズのファイナルは中日の1勝2敗(アドバンテージを合わせると2勝2敗)。数字上は対等になったが,シーズン中の悪い時期のような貧打が目立ち,流れは悪い。何とか最後のシーズン,少しでも長く落合野球を見たいところだ。