Footprints

弁護士・伊藤雅浩による仕事・趣味・その他雑多なことを綴るブログ(2005年3月開設)

先行することの意義

「公文」の算数で何学年も先のことを学ぶことの意味はなんだろう,とか考えてしまう。


長男は,年中にあがるころ,鉛筆を持って字を書きたがったので,近所の公文に通わせることにした。このころ,まだ将棋は覚えていなかったので,目の前に与えられた公文の算数に夢中になり,バリバリと進んで,小学校に入るころには4ケタ割る2ケタの割り算の筆算などに取り組んでいた。


家で,いちいち解き方を説明したり,間違えているところを指摘するような時間はないので,私はときどき気まぐれに覗いては「お,やっとるな?」くらいの関心でしかなく,すべては週に1回か2回通う公文の先生にお任せ状態となった。


3か月に1回,進度状況が配布され,同じ学年で全国何人中何番目,という順位が分かるシステムになっている。そうなると,ちょっとでも上を目指そうじゃないか,という話になりがちである。


しかし,やがて小学校に入る前くらいから,将棋への集中度合いが増し,そして算数の難度も高まってくると,急激に公文の進行スピードも遅くなる。同じところを何回も戻ったりして,あまり前に進まなくなる。ま,それはそれでも,しょうがないので,自分のペースでやらせておいた。


ペースがスローダウンしつつも,いつの間にか,分数の四則演算をやっている。こんなの,今やる必要あるのかな?と思う。計算の手続が面倒になってくるので間違いも増えてくる。


そんな疑問が大きくなりかけた先日,ケーキを切る際,「半分の半分に切って・・」などという話になったので,長男に「半分の半分って,分数でいうと何分の何?」と聞いてみる。


残念なことに,答えが出てこない。「10分の2かな?」「2分の4?」とか,当てずっぽうを繰り返す。


うーん,この分だと,今,仮に分数の四則演算をやってたとしても,何にも理解していないだろうし,学校で習うころにはすっかり忘れてるだろう。


それでも,小学校低学年で,方程式はもちろんのこと,三角関数だの,高校数学にまでたどり着いている子がいるそうだが,これはいったいどういう訓練をしているのか,どういう頭脳をしているのか謎であるとともに,ホントに意味あるんか他人事ながら気になる。


そういえば,4年前は漢字ブームだった。

http://d.hatena.ne.jp/redips/20060730/1154223739
http://d.hatena.ne.jp/redips/20070308/1173280029

でも,これも今となってはマイナスの要素もある。なにせ,お絵かき感覚で漢字を中途半端に覚えた記憶が残っているため,書き順が恐ろしかったりする(例えば,田を書くのに,先に「口」を書いてから真ん中に「十」を書いたり。)。書き順がめちゃめちゃだと当然,字も汚くなる。


無理に幼少時に詰め込んだというわけではないので,こうした現象について何かを後悔するというわけでもないが,こういうことは,子どもが熱中しているときには気づかないものである。


そう考えると,今熱中している「将○」についても,あとでいろいろ思うところが出てくるものかなー