Footprints

弁護士・伊藤雅浩による仕事・趣味・その他雑多なことを綴るブログ(2005年3月開設)

貴重なお客さん

昨晩は,お客さんの社内飲み会に誘っていただいた(本日は回想調)。


この会社,私が弁護士へキャリアチェンジするきっかけを与えてくれた会社である。コンサルティング会社に勤務していた当時,2001年ころから,この会社のあるプロジェクトを立ち上げるところから関与することになった。


システム開発系のお仕事なので,IT部門と共同作業することになるのだが,どうしても,営業部門・企画部門が「敵」となるのがこの種のプロジェクトの常である。本プロジェクトにおいても,IT部門が企業内での評価が高くなく,営業部門・企画部門と闘わなければスムーズに進められない日々であった。


当時この会社は,老舗企業であったが,店頭公開(現JASDAQ)を果たしたばかりで,勢いがあった。そんなとき,企画部門のトップとして,私と何度もやり合っていたのがA室長であった。ロジカルで,正論を述べつつも,行動力があり,技術にもそれなりに明るいので,いってみれば非常に「やりにくい相手」ではあった。


そのプロジェクトでは,途中で加わった開発会社とトラブルになってしまい,2003年春に訴訟へと発展した。そんなころ,ロースクール制度が発足したため,フラリとそちらの道へ行こうという魔がさした。当該訴訟については,私や,私の所属していた会社は当事者ではなかったが,事実経過をよく知る者として,私は,証拠の収集・整理や,代理人への説明だけでなく,ロースクール在学中には,裁判所にもほぼ毎回,足を運んだ。


この紛争はあったものの,プロジェクトはストップさせるわけにはいかない。急きょ,訴訟と並行して,別会社を巻き込んで,プロジェクトは起死回生の復活を遂げた。そして何とか一区切りがついたのが,2004年5月。自分たちの中では,ずっと「プロジェクトX」のテーマが流れていた。最後は,ロースクール生と,プロジェクトリーダーを兼務するという無茶な状態だった。


私は,その後まもなく退職し,ロースクール生活に専念したため,しばらくそのお客さんとビジネス上の関わりはなかったが,たまに当時のメンバーが集まるときには都心で飲んでいた。そして,ロースクール三年生となった2006年に再び声を掛けられて,ピンで契約することになった。私は翌年受験を控えていたこともあって,非常に負担の少ない仕事だったが,今思えば,ちょっとした奨学金のような位置づけだったのかもしれない。


その会社は,その後も堅実な業績をあげて,2005年には東証一部に上場する。私は,司法修習生となった期間は,契約を終了させていたが,弁護士登録後,再び,そのお客さんのために仕事をすることになった。


話はあちこちに飛んでしまったが,昨日の飲み会は,途中で出てきた企画部門長だったAさんの社長就任をお祝いする会であった。部長,取締役,専務と順調に昇進していったAさんとは,プロジェクトが終わった後くらいから,たまに一緒に飲むようになったが,とうとう社長になったということで,私も大変うれしい。二次会では,私と社長を含めて三人だけでしばらくお話したが,「ぜひ,長期政権を」とお願いしておいた。