Footprints

弁護士・伊藤雅浩による仕事・趣味・その他雑多なことを綴るブログ(2005年3月開設)

論文力(5)

だらだらと書いてきた論文力シリーズも今回で最後。3つの要素の最後は表現力である。


前回,「分析力を鍛えるのがもっとも難しい」と書いてしまったが,あらためて表現力について考えてみると,これこそ受験期間で鍛えるのは至難の業ではないかと思う。


多くの受験生は表現力にターゲットを絞った訓練を行っていないのではないかと思う。確かに,ほとんどの人は大学受験や,その他の訓練を通じて日本語の表現力を一定以上備えていて,考えたことをごく自然に文章に落とせば,読み手に伝わるはずだから,表現力そのもので苦労することは少ないと考えられる。


しかし,私の感覚では,(旧試験の経験はないが)新司法試験になって,表現力の重要性は増したと考えている。というのも,1問につき,2時間で8枚も書かなくちゃならないとなると,いくらプロの読み手だとしても,よほど読みやすい文章でないと飽きてくるのではないかと想像できるからだ。事実,自分たちの書いたプレテストなどの答案を友人間で回し読みすると,数通読むだけでかなり疲れる。また,長い文章になれば,自分の中で考えたストーリーを文字に落とすことも難しくなると思われる。


なので,「論点を落としたか拾ったか」ということ以上に,全体に読みやすい,説得力のある書きっぷりになっているか,ということのほうが重要かもしれない。むしろ,あらゆる論点を拾おうとすると,幹となるストーリーと関係ない枝葉の部分に立ち寄らなければならなくなったりして,接木だらけの文章になる危険もある。


読みやすい文章を書く方法としては,法律の分野に限定しなければ,巷にいろいろなハウツー本などが出回っている。バーバラ・ミント氏の"The Pyramid Principle"あたりが有名だ(昔に読んだことがあるかもしれないが内容はほぼ忘れた)。ただ,この手の本は,「聖書」であって精神的に豊かにしてくれても,「パン」ではないから,明日にも答案が上手に書けるようになるというわけではない。どうしても受験生としては「聖書」よりも「パン」を求めがちである。


話がなんだかわからなくなってしまった。さて,表現力の鍛え方に話を戻すと,この件に関しては,最近,ある法律事務所のパートナーの先生とお話した際にも,たまたま話題になった(司法試験の論文をどう書くかという話ではなく,一般的な文章力に関する議論だったが)。


その先生曰く,日本語力や文章力というのは,センスが占める部分が大きく,いっしょに働き始めてから鍛えたからといってどうこう出来る部分は少ないんじゃないか,ということである。コンサルティング会社に勤めていた頃にも,同じようなことを話す人は多かった。少なくとも確立した訓練法はなさそうだ。


現実に,受験の限られた期間で表現力を鍛えるとすれば,「書いてみること」は一つの手段だと思う。ただし,書きっぱなしではなく,自分でじっくり読み返す。さらには客観性を高めるために,時間差を置いて「違う自分」が読み返してみたり,受験生仲間に読んでもらって「わかりやすいか」という観点で批評し合うことなども重要だろう。その緊張感から表現に気を使うようになる。同じ受験生が書いたものを読んでみて,「他人はどれぐらいわかりやすい文章を書くのか」ということを感覚として掴むことも重要だ。


一方,必ずしも書くことだけに限らず,「自分のことばで説明する」ということで代替することも可能だと思う。きちんとことばで説明できない場合には,書いても内容が伝わらないことが多い。受験生仲間と議論し,互いの話を理解しあう過程を通じて,表現することに慣れるんだと思う。


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このように分析的にみて,領域ごと対策を考えてみると,それぞれの勉強法が,どの部分に効いてくるのかを考える際の参考になる。そして,誰かがやっている勉強方法を自分に取り入れるべきか,見過ごすべきかというのを判断する基準も明確になってくると思う。要は,自分の弱い部分を見つけて,そこを集中的に対策することで,「失敗しない」論文になると考えられる。