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弁護士・伊藤雅浩による仕事・趣味・その他雑多なことを綴るブログ(2005年3月開設)

誰がために叱る

子どもを叱るとき,誰のために叱るのか,と問われれば,当然,子ども本人のため,ということになるはずなのだが,必ずしもそうではない場面がある。


典型的には電車の中など,公共の場所で叱る場面である。例えば,子どもが騒がしいときに,親は叱る。しかし,その反面で,「まあ,子どもなんだし,これぐらい騒ぐのも仕方ないか」と思ったり,「ちょっと叱ったぐらいじゃあ,ほとんど効き目なしだろうな」とか,「眠いときに叱ると,火に油を注ぐことになって,よけいまずいかも」などと思うこともある。


だからといって,騒がしくする子どもを放っておくこともできない。周りの視線がある。そんなときに「静かにせよ」と叱るのだが,これは子どものために叱っているのではないのではないか,と思えてくるときがある。結果的に,効き目がなくても,親が黙ってて放置されているのと,叱った結果,効果がなかったのとでは違うのではないか,と思うからである。


もちろん,小さな子どもであれば,公共の場所で騒いでも許される,などと言っているのではなく,子どもの年齢,騒ぎの態様,車内の状況(日曜の行楽地へ向かう電車か,平日の都心か,など)によって,許されない場合では有無を言わさずやめさせたり,子どもをつれて退避しなければならない場合もあるのはもちろんだ。


話がそれていくが,こういう場面を経験すると,親は疲弊する。よく電車の中で小さな子を連れたお母さんがとても疲れているように見えるが,こういったストレスも影響していることは間違いない。感覚的には,特に都会は「うるさいなぁ視線」がきついので,余計に疲れてしまうのである。私の場合,子どもが生まれてから,そういう視線を受けるという経験を多々味わった。だから逆に,そういう場面ではかなり寛容になったが,サラリーマン時代に新幹線に乗って,同じ車両の近辺に子連れがいると,やっぱりアンラッキーだ,と思ったものだ。


新聞投書や,雑誌コラム等で,「日本社会は子連れに対して冷たい」という話をよくみる。ベビーカーを抱えて階段を上り下りする女性を無視したり,小さな子を抱っこする人に席を譲らなかったり。こんな状況では,一人の親が,一人の子ならまだしも,小さな子を二人連れて外出することはほぼ不可能である。こういうところも,少子化の一つの原因になっているんだろうなあと思ったりする。


最初に書こうと思っていたこととずいぶん話がそれてしまった。