Footprints

弁護士・伊藤雅浩による仕事・趣味・その他雑多なことを綴るブログ(2005年3月開設)

日課の意義

保育園では,毎日「日課」と称していろいろと難しいことをやらせている。前にも書いたけれど,2歳児が俳句をそらんじたり,国旗や,星座や漢字を覚えたりする。


前々からおもしろいな,と思っていたけれど,いくつかの疑問も生じる。例えば,

  • 2歳児がことわざや星座を覚えても意味ないのではないか(小学校の教育の先取りをしているのか?)
  • 毎日同じことを繰り返しているようだけれど,飽きてしまうのではないか
  • 型にはめた日課では,逆に個性を失わせるのではないか
  • よく規律されているが,逆に軍隊のような強制的な雰囲気なのではないか


など。先日,保育園からブックレットが配布されて,これらの疑問につぶさに説明が書かれていた。以下,自分なりに理解した要点である。

この日課のねらいは,「知識が増えた」ことではなく,「共生」にある。みんなが声を大きくし,エネルギーとして共鳴しあうという感覚を体感し,その楽しさを知るのが重要だ。そして,体の成長のために食が必要なように,人としての成長には「知的な刺激」が必要なのだから,知的な刺激を生活に取り入れることによって,学ぶ姿勢が身についていく。


創造性や個性は,まっさらの状態では生まれてこない。自分勝手やわがままは,個性ではない。幼児期の子どもは,未発達の部分が多いから,「出す」ことよりも,「入れる」ことを中心となり,その経験が「自分の形」を作り出すことになる。


「総合幼児教育研究会ブックレット第5号」の一部を抜粋,要約

とりあえず,よく考えられた上でプログラムが作られていることがわかって安心した。それにしても,要点の後半で,「未発達のうちは,アウトプットよりインプットを重視し,それによって自分の形をつくる」ということが書かれていたが,これはまさしく純粋未修者が司法試験を目指す場合も同じだなあ,と感じた。