Footprints

弁護士・伊藤雅浩による仕事・趣味・その他雑多なことを綴るブログ(2005年3月開設)

論点主義とストーリー主義

先日,採点基準公開に関する話を書いた(http://d.hatena.ne.jp/redips/20060106/)が,それに絡んで,2人の先生から話を聞く機会があった。


その基準に照らすと,できるだけ論点を拾うようにすることが高得点につながることになる。いわゆる「論点落とし」は避けなければならない。逆に,基準に合致する内容さえ記載されていれば,全体の流れや表現の巧拙はそれほど影響がないようにも思える。


基準を公開した先生に,その点をたずねたところ,もちろん,前後のつながりなく論点を羅列するような答案は,印象点が悪くなることを認めている。でも,一定の点数には到達するという。他方,多様な可能性や論点を検討せず(答案に織り込まず),淡白な答案は,たとえ第一印象的に「読みやすい」答案であったとしても,やはり高得点は望めないことを示唆していた。やはり,思いついたことは,安全策をとって書いたほうがよい,と。


なお,こうしたコメントは,先生から明示的にもらったのではなく,回りくどい言い方をしたり,あいまいな言い方から,私が推測したものである。


また,同じ機会に別の先生は,明確に「論点をただ並べる答案はセンスがなさすぎる」と断じていた。こちらの先生は,答案全体のストーリー性を重視されているようで,論点が抜けている,書いてある,ということは,最優先事項ではないという。しかも,現在の多くの学生の答案は流れが悪い,ということを不満に感じていらっしゃるようである。


両先生のコメントは,互いに矛盾するものでもないが,多くの論点を書きつつ,美しく読みやすいストーリーで仕上げるのはかなり難易度が高いから,ある程度,方向性を決めたほうがよいように思える。しかし,採点者によって答案に対する価値観が違うのであれば,学生としてはなかなか難しい選択を迫られる。


もっとも,先生の基準が異なる理由の一つに,科目の特性があることを忘れてはならない。確かに,上記の発言をしたときに先生が念頭に置いていた試験問題は,かなり違うので,出された問題によって,作戦を選択する必要があるのかもしれない。


とりあえず,現時点では,「論点に気づくこと,拾い出せること」「全体として読みやすいストーリーを組み立て,簡潔に表現できること」をどちらも訓練すればよい,という当たり前の結論に落ち着くのだが。