Footprints

弁護士・伊藤雅浩による仕事・趣味・その他雑多なことを綴るブログ(2005年3月開設)

憲法アレルギー

理系→コンサルティング業界からロースクールに入った時,もっとも苦手意識を持った科目は憲法だった。


「内在的制約」とか「制度的保障」とか,概念がやわらかいし,言葉から意味が想像できず,ちっとも理解できなかった。それに「比較衡量」とかいっても,何と何を比較するのかぼんやりしていながら,「得られる利益のほうがはるかに大きい」と書かれていたりする。ディメンジョンも揃えもせず,定量的に測ったりもしていないくせに「大きい」とは何事だ?と思っていた。


しかし,最近は憲法がそれほど嫌いではなくなった。昨年の秋から憲法を担当していただいた先生の講義がおもしろく,なんとかアレルギーが払拭されたように思う。その先生の講義では,「この話はあんまり教科書には載ってないんですが・・」という枕詞がよく出てくる。そういう話を聞くと,憲法学(というより司法試験受験生における憲法学)の間で自明,通説とされる考えがどんどん崩される。


例えば,

  • 表現の自由が優先的に保護される,ということは,そんなに自明なことではない
  • 戸別訪問禁止という規制は,ゲームにおけるルールのようなもので,それほど騒ぐことでもない(国会の裁量の範囲内)という考えもある
  • 政教分離は制度的保障だ,と言われるが,日本国憲法において制度的保障だといえるのは天皇制ぐらい(法学教室2005年6月号(No297-p31)も参照)

など。


不思議なことに,こうしたやや異端(?)な話のほうが理解しやすい。そしてこうした話を聞くことで,教科書に書いてある話も理解しやすくなる。ただ残念なのは,同じ話を何回も聞くので,「また同じ話?」となってしまうこと。